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2018年10月2日火曜日

「君の膵臓を食べたい」の感動の余韻から抜け出せない中で気づいたこと

読み終えて2日めだと言うのに
謎の喪失感から抜け出せない。

このなんとなく「失くした」ような「ぽっかりと空いた」ような感覚に気づくのに1日かかった。
そしてとりあえずそれを理由はよくわからないけど「謎の喪失感」としていた。

自分が失ったわけではないのに。

主人公ですら立ち直って前向きに生きているというのに
関係ない自分がなぜか落ち込んでいる。

主人公に勝手に感情移入し、しすぎて当人を越えてしまっているのかもしれない。

でもそれも無理ない気がする。勝手に主人公に自分を重ねてしまうということ…おこがましいかぎりですが

自分の場合は、男だし、実際に中学高校のときは主人公のように人と関わるのを面倒だと感じがちだったり、文学とか若干興味あったからなおさらそうだけど
(映画版なんて12年後の設定もあって社会に出てからその生活に疑問を感じでいる様子とかあるから特にだけど)
いずれにしても主人公が完璧じゃないだけに(高校時代も12年後も)
多かれ少なかれ誰でも共感しやすいのではないだろうか。
そして成長していくというストーリーに自分への期待も(知らないうちに)込めている。多分。


じゃあなんで喪失感?
という感じだが それも何度も考えてようやく腑に落ちた気がする

言うまでもなく単純に失くしたというのは桜良の死 なのだけど
じゃあなんで関係ない俺が失った気がしてしまうのか?ってことは
さっきの話で 主人公に自分を重ねてしまうということだろう


もちろん 物語と現実がわからなくなるような精神異常ではない。

自分のなかの思いと考えを整理してたどり着いた結論としては…

主人公にとって 次第に彼の中での桜良の存在が大きくなっていくこと(恋心ではない)
そして 彼女に生きていくことで大事なことをたくさん教わっていたんだと気づいたこと
気づいたときにはもう遅くて、何もしてやれなかったという後悔と自責の想い
もういないということ

主人公が実際に独白しているこの感情

尊敬、感謝、後悔、喪失 みんなごっちゃなったようなこの感情を自分を重ねた主人公を通して感じていたのかもしれない。

実際読んでいて、桜良の言葉から勇気をもらったような部分は結構あって、
今の生活の中で人と関わることをためらう部分があったのを変えていこうと思えるようになっていた。

でもそれを教えてくれた人は実際にはいないし、何もしてあげられない…

そういう意味での喪失感=欠落感なのだろうと

主人公にめちゃ感情移入できたがゆえのやつだと思います。


土曜の「怒り」を見たときから始まって4日間涙流れまくりだな。



そしてもうひとつ抜け出せない感覚がある。
あのヒロインの感じ、どこかで見たことある気がする。

明るくて、ふざけてて、でもときより真剣で
明るく健気にふるまっているのに どことなく影を抱えているところもあって


それ自体は よくありそうなヒロインの設定ではあるのだけど
今までも何かでそんな感じを見たことある気がするんだけど

でも何だったか思い出せないんだよな…
すごく引っかかる

思いだせそうで思いだせない

猟奇的な彼女?

近いようでちょっと違うな

戦力外捜査官のときの武井咲?
それもちょっと違う


なんかキミスイっぽいヒロインが出て来る青春感動ものわかる人いたら教えてください。
それっぽくなくても 感動できるものがあれば教えてください。

よろしくお願いします。

『君の膵臓を食べたい』その言葉の本当の意味が映画版には描かれていない


人気になっていたのはもちろん知っていたけれど
そもそも学生の青春恋愛系のもについては今まで一切本も映画にも触れてこなかった。
ベタだし、泣かせようとしている感が強いだろうと思って、むしろ遠ざけてきた。

でもこれが作家のデビュー作であることを知り、
「デビュー作でありながらそんなにヒットするものがかけるのだろうか」
「実際どんな文章なのだろうか」
「ひょっとしてデビューでそこまでいけるなら自分にもヒット作がかけるのでは」(今となっては恥ずかしい思い違いだが)
というちょっとした興味や思い込みから 試しに読んでみようと思ったことがきっかけだった


実際ここ数年ヒットしてよく実写化されたりする類のものとはいろんな意味で違うと感じた。そして興味深かった。
とても感銘を受けたので読んでみた感想と勝手な解釈を残しておきたい。
(ネタバレになるので最初に原作と映画を見ておいたほうが良いです。)


よくあるベタなやつとは違うところ(設定)

・中盤や後半の重大な事件(本作ではヒロインの不治の病が発覚すること)が一番最初に来ている。

そして、ハッピーエンドではないことが読者にもすぐわかる。
 しかも主人公やヒロインがそれを前提にした交際をしていて、それについての悲観的な雰囲気があまりない。

 よくあるやつは物語の中盤で不治の病が発覚し、ストーリー展開の山谷でいう最初の谷になることが大概だが、本作は最初からそれがわかるところから始まるので意外性がある。全体を通して上がり下がりの強烈な展開は少ないがかえってそれが現実味をましているのと主人公の視点に立って(むしろなりきって)落ち着いて物語に入り込むことができる。一人称的に見れる。
また初めから病についてオープンであることが、天真爛漫であっけらかんとしたヒロイン
の性格と相まって独特の雰囲気を作っている。
 

・主人公の名前が最後にならないとわからない。


 【地味なクラスメイト】くん→【仲良し】くん…と言った具合にヒロインが呼ぶ主人公の名前が伏せてある。
 (その意味は最後にわかる)
  ストーリーの進展と二人の関係性の進展によって変化していく呼び方、こういった表記は小説だからできる(映画だとむずかしい)ことだし、思いの度合いを理解するのにわかりやすい。
 そして互いを「君」と呼び合い続ける。(それも最後出て来る)


・恋人ではない。恋人にはなれないこともわかっている。

 かといって親友や友達でもない。とても不思議な関係。


 ベタな、ものすごく思いあう恋人、という感じではない。
 なので中盤は「青春だな」って感じでサクサク読めるが、ふとした時に出てくるお互いを思うところが何とも言えない、単に「恋人」では表せないような、それ以上の強い関係のようなものを描き出している。
病気とそれを伴った人生をともにするためのパートナー。秘密を共有し、特別な感情を理解できるパートナーとして。
「共病」というのは最初は「病気と共に向き合っていく」ということとだったが
途中からは行動を共にする主人公を加えた生活、それを「共病」(病や死に対して、(主人公も含めて)共に向き合う)と読んでいるように思う。
そんな意味に変わっていったと勝手に解釈する。

・これでもかというくらい全く正反対な主人公とヒロインの性格


 真反対の性格というのはラブコメにはよくある感じだけどこれだけ悲しい物語でありながら…それであるということ。それとそのことがメリットを持っているということ。つまり、ヒロインの性格や考え方、発言から主人公が学んで成長していく、というところが単なる恋愛で終わらないところだと思う。

またクールでものごとに興味がない主人公と明るくて健気に振る舞うヒロイン
ふたりとも言えるのは
一見難病についてさらっとしているということ(だからこそ仲良くなれたのはあるけど)
主人公は相手に興味がないからという理由で、彼女はその明るさゆえで
最初はあまり強くは描かれなかった。
しかし時折描かれる現実的な場面(薬や注射器の描写、病状の悪化)や関係性が強まるのを通じて、最後はふたりとも(考えていないようで)「生きること」について考えていく、という反対を見ているようで実は同じようなことを考えているというのが見える瞬間が興味深い。 

また奔放なヒロインの言行と主人公のツッコミ、その掛け合いが特徴でもあると思う。
悲しい物語であることはわかっているはずなのに、途中で考えさせる場面も出てくるのに
全体としてどんより落ち込まずに読んでいくことができるのはそのせいだと思う。

ちなみに真反対ということでおんなじような感じで「(500)日のサマー」を思い出した。それも良かったがそれとはまた違う。(違うのでどっちが良いとかという話ではない)


・主人公が根暗


 ベタなかっこよくてイケメンでキラキラしてて、みたいなのではない。

思いっきり内向的で文学の世界でしか生きていないような性格の主人公。
地味女がイケメンに恋をするパターンはラブコメでよく見るけど。



ストーリーの展開


1.ヒロインの葬式の日から始まる。
2.少し前までの生前の出来事を振り返る。
3.予想外の死
4.勇気を出して彼女に線香をあげにいく。
5.「共病文庫」と遺書を読む。
6.キョウコに会う。
7.皆で墓参りに行く。

大体は主人公の一人称での文章
中盤はヒロインとの会話が中心

回想はあるが一度たりとも生きていた彼女は出てきていない

映画は1と7がなく、オリジナルになっている。
小栗旬さんも北川景子さんも大好きだし、映画は映画で良いところがあるけれど
ちょっと「遠い過去を振り返って、そこから勇気づけられて今を前向きに生きる」みたいなパターンはありきたりというのもあるし、
過去に執着しすぎているような印象を持ってしまう。
原作は高校生の時点で終わるし、青春のイキイキとした感じで良かったと思う。



重要なKEYである「共病文庫」が最後までわからない


この内容が最後までわからないというところに大きな意味があり、
全体としては(あえて)あまり起伏の少ない展開に最後に大きなインパクトを与えているのだと思う。しかも伏線であることが目に見えてわかるので読んでいる側も最後まで気にしながら読み進めることができる。




「生きること」の意味



桜良という名前に限らず桜の描写が印象的に描かれている。
会話の中でも桜について語られている。(主人公の名前も桜に関わる)

散るのが美しいと思ってしまうのが日本人の美意識にはどうしてもあるけど
(実際散る(死ぬ)のが物語に意味を持たせているのは事実だし、そこに死生観の一部があるのだろうけど)

桜は散ったように見えて、つぼみとしてずっと生き続けて春を待っている。
というような桜良の発言。

咲いては散って、つぼみになってまた咲いて、散って…
毎年訪れるこの繰り返しのなかに、単に悲しい物語で終わらない、桜良のポジティブな意思にも似たような力強さ、桜の生命力のようなものを表そうとしているように感じてしまう。

そして、ずっと春(主人公)を待っていた(る)のだと…
そしてその繰り返しというのは毎年訪れる「必然」
桜良の言葉をまた借りれば それは自分の意思での「選択」なのだろうか



『君の膵臓を食べたい』の意味の変化


3回出て来るこの言葉

序盤:冗談ぽく。
 意味としては昔の人は病気を治すために動物のその臓器を食べたから


中盤:少し真面目に。
 大切な人を弔うため。その人の一部をたべると食べた人のなかにその人が生き続けるからという理由で。


終盤:自然とお互いがその言葉を望んでいた。
 意味合いとしては(映画では省かれてしまっているが)直前に出て来るお互いを尊敬して「君の爪の垢を煎じて飲みたい」という憧れの表現。

主人公はヒロインのその明るい性格を
  ヒロインは主人公の自分らしさを貫けるところを互いに尊敬するようになっていった。(尊敬というよりは憧れというほうが堅苦しくないか)

 そして面白いことに同じ意味としてそれを互いに言い合っていた。
 (主人公がそれを知るのは彼女の死のあとだけど)

 死の直前のデートの前、主人公は「君の爪の垢を煎じて飲みたい」と送ろうとしてそのメールを消している。
 結果送ったのはあえて言い直した「君の膵臓を食べたい」のみ。
 その真意をまるで理解していたかのように 桜良が主人公にあてた手紙(前もって書いていた遺書)には「君の爪の垢を煎じて飲みたい」と書かれてあって、それにつづいて「君の膵臓を食べたい」と来る。
 
 お互い真反対でありながら、それを認めあっていて、リスペクトしあっていたんだ、ということがわかる。これがわかった瞬間、主人公が作中でそうしたように、僕もそれまで抑えていた感情のタガが一気に外れて涙が溢れ出してしまった。直前までの軽いトーンのせいか大泣きはしないつもりだったのに。
(映画ではこのくだりがさらっとしているので中盤で出てきたときの意味合いと思ってしまう気がする)


 


最後に

今回読んでみて
小説や文章を書くということへの興味が今まで以上に強くなった。
また無味乾燥な毎日の生活にうんざりしているなかで
人間的な生き方ってなんだろうということを考えたし、また人間味のある生き方をしていきたいし、周りにもそういうことを与えていけるような生き方をしたいと素直に思った。

あと単純な話、死ぬとわかっていたらどんなことでもやろうと思えるというか
踏ん切りをつけるきっかけになるなと改めて思った。

偶然や運命ではなく自ら互いに選択して出会ったんだという桜良の言葉

そういうことならば 自分としては偶然買ったつもりだったけどこれも選択なのかと思うと少し小説の読み過ぎなのかなと思いながらも妙に納得してしまう。


以上読書感想文でした。(内容はあくまで個人の解釈です)


p.s.
こういう物語を国語や道徳とかの授業で扱えばいいのにって思ってしまう。伏線含めた文章理解、そして感情の理解のために。
(おじさんには関係ない話かもしれないけど)





10/2追記
重要なことを書き漏らしていたことに気づいたので追記。

通り魔と星の王子さまの存在と主人公の成長

ストーリーの構成に関わることだけど

もし仮に 突然の通り魔による殺害で死期が一気に早まっていなかったら…

これを考えると物語のその後の展開は大きく変わってしまう。
先に書いたとおり本来クライマックスに来るであろう「死」が予めわかっていただけに、「死」そのものにインパクトはなくて、問題はそれのタイミングとその後への影響だ。
実際死の際の描写はほぼなく、主人公もあとからニュースで知るだけだし、あまり深く言及していない。なので「悲劇的な最期」を演出したいという意図ではないとわかる。

もし桜良が徐々に衰弱して旅立っていったら、主人公はその間にさらに桜良と心を通わせ続けている中で、人としてある程度成長して、徐々に桜良の死を自然な形で受け入れてしまっていただろう。

実際序盤では主人公は君が死んだらまたいつもどおりの日常に戻るだけだ、といっているし、葬式のときも行かず、しばらくは部屋にこもって引きこもるという以前の生活に戻ってしまっていた。多分、本来の主人公の性格ならこれで物語は小奇麗?に終わってしまっていた。

そこで終わらずもう一つの山というクライマックスにつながるための存在なのが、返しそびれてしまった借りていた本「星の王子さま」と共病文庫だったのだろう。

その死を気にしないようにしていたのか(あっけなさすぎてあまり受け入れられなかったのか)またこれまでの生活に戻ろうとしてしまっていた主人公を桜良の家に向かわせたきっかけは返せなかった「星の王子さま」。そしてそこから桜良の存在を思い返して共病文庫の中身をまだ知らないということを思い出す。

そういった状況を作り出したのは 通り魔による死だろう。そして、それによって主人公は彼女が生きている間に本を返せなくなったわけだし、自分の送ったメール「君の膵臓を食べたい」がとどいたのかどうか気にかける必要もなかったわけだ。つまり、通り魔によって死期が早まっていなかったら、桜良の家に行こうとしないだろうし、つまりそれは桜良の死を受け入れらないで(言い方を変えると何もなかったことにしようと思い込ませて)以前と同じ生活にもどってしまっていただろう。

さらに 桜良の母は彼女から共病文庫を預かっていて「その人」(主人公)が来たら渡すように言われていたが、「その人」にはあったことなく名前は潰されていたので誰かわからなかった。主人公が訪問してそのことを切り出さなかったら、その本は家族が持ったままでクライマックスに至らなかった。

そしてそれを主人公が読まなかったら その後につながる主人公の成長はなかっただろう。それがなかったら主人公は 生前の桜良の願いであった「キョウコたちと友達になる」ということも選択していなかっただろう。
急速に早まった死によって、主人公の桜良への思いも強まり、急速な成長につながったといえる。

これは偶然の重なりのように思えるが、物語の筋に照らし合わせてそれを「自らの選択」したのだとするならば、通り魔によって(予定)より早まってしまった桜良の死は、その後の主人公の成長のために偶然なものではなく絶対的に必要なものだったと思えてしまって、、、なんだか、言葉を失ってしまうというか、運命や人の一生は皮肉なものだと思ってしまう。(桜良は死期を早めることを「自ら選択」し、それをもって主人公たちの成長を促すことを「自ら選択した」ということがあまりに悲しい。)

でも実際、桜良は生前も遺書でもその後の主人公たちを思って、主人公とキョウコを仲良くさせようとしてたり、陰ながら支えているような雰囲気があったからあながち的はずれな考えではないと思う。

散り際の美しさ…なのかな。と勝手に思う。

考えすぎかな。
やっぱり小説の読み過ぎかな。











2017年10月22日日曜日

アートな予定


展覧会場所方面開始終了URL
ボストン美術館の至宝展東京都美術館上野7/20/201710/9/2017
上村松園ー美人画の精華ー山種美術館渋谷8/2910/22
歴史画展講談社野間記念館江戸川橋9/910/22
江戸の琳派芸術出光美術館東京9/1611/5
海を渡ってきた馬文化群馬県立歴史博物館高崎9/3011/26
遙かなるルネサンス東京富士美術館八王子9/2112/3/2017
怖い絵展上野の森美術館上野10/7/201712/17/2017
ゴッホ展 巡りゆく日本の夢東京都美術館上野10/24/20171/8/2018
パリ グラフィック三菱一号館美術館東京10/18/20171/8/2018
屏風と掛軸松岡美術館白金台10/41/21/2018
北斎とジャポニズム国立西洋美術館上野10/21/20171/28/2018
ルドルフ2世の驚異の世界展Bunkamuraザ・ミュージアム渋谷1/6/20183/11/2018
ブリューゲル展東京都美術館上野1/23/20184/1/2018
パリジェンヌ展世田谷美術館世田谷1/13/20184/1/2018
至上の印象派展国立新美術館六本木2/14/20185/7/2018
プラド美術館展国立西洋美術館上野2/24/20185/27/2018

全然最近いけてない…

2017年9月3日日曜日

健全なる精神は健全なる身体に宿る

“orandum est, ut sit mens sana in corpore sano”
(A sound mind in a sound body)
『風刺詩集』第10編第356行にあるラテン語の一節;


デキムス・ユニウス・ユウェナリス(Decimus Junius Juvenalis, 60年 - 130年)は、古代ローマ時代の風刺詩人弁護士である。彼が残した詩は痛烈で、現実を些か誇張し歪曲した表現がよく用いられている。
代表作は、16篇からなる『風刺詩集 (Satvrae) 』。その中で「健全なる精神は健全なる身体(しんたい)に宿る」(後述)や「パンとサーカス」などの言葉が用いられている。

2017年8月22日火曜日

ジン・リッキー


ジン45ml
ライム1/2個
ソーダ適量

ライムを絞って、ジンとソーダをいれるだけ


http://cocktailrecipe.suntory.co.jp/wnb/cocktail/recipe/gin_rickey/index.html


ところで面白そうなジンを見つけちゃいました





ボタニカルにジュニパー、サフランなどを使用し、独特の風味をう生み出しています。
パワフルでスパイシー、骨太で力強い味わい。
ジンリッキーやジントニックがおすすめです。

とのこと。

風味が良さそう