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2017年5月15日月曜日

そうだ、古墳へ行こう

保渡田古墳群
http://www.city.takasaki.gunma.jp/kankou/history/hotodakohun.html

かみつけの里博物館
http://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2014010701664/


2017/5/7 11時頃

密かな古墳ブームが起きている?


東国一の古墳地帯 群馬県

私の地元周辺にも東日本で一番大きいと言われる古墳があり、

古墳の数自体もたくさんあります。


最近 なぜか古墳に対する興味が湧いてきて

いこういこうと思っていてなかなかいけていなかったのですが
ゴールデンウィークにようやくいくことできました。

高崎市にある保渡田古墳群へ。


10時半くらいにつきましたがすでに人が何人かいました。

最近は歴史ブーム、歴女や刀剣女子とかいろんなブームが起こる中で

どうやら古墳もアツいようです。

密かに古墳ブームが起きているのです。


八幡塚古墳

保渡田古墳群は3つの古墳から構成されています。


八幡塚古墳、二子山古墳、薬師塚古墳



まずは八幡塚古墳へ

さっそくユニークな埴輪が出迎えてくれました。

顔が面白かったり赤く塗られてたり、ほんとに面白い…。



古墳はすごく広くて大きいです。少し歩いてみることにしました。


またしても 大量の埴輪に遭遇しました。
たくさんの埴輪に守られています。

武人の埴輪がたくさん、それ以外にも馬とか動物があったり
力士?のようなものもありました。

こんなにたくさん、しかも特徴的な埴輪をみたのは初めてです。

古墳は 二重の堀で囲まれて
堀には 中島という 円形の高台があります。

古墳の頂上に登って周囲を見渡します。

北方には山々がそびえています。

そのひとつに榛名山があります。

5〜6世紀に噴火があったそうです。

この一帯も火山灰に埋もれてしまいました。

ちなみに渋川市の金井東浦遺跡は鎧を着た古代人の遺体などが火山灰の土から発見され、
それゆえ「日本のポンペイ」と言われています。


古墳の頂上は 内部に入れるように整備されていて、
石棺が見れるようになっています。

ちなみに発掘調査をしたときには すでに盗掘されていたようです。
初めて古墳内部に入りましたが、少しひんやりした空気で、ワクワクしました。

薬師塚古墳へ


八幡塚古墳を出て、周辺を歩きます。
近くには 「土屋文明記念館」がありました。今回はいきませんでしたが



薬師塚古墳はお寺がたっていて
なかに入るのは今回は遠慮いたしました。

周りを歩いていると
きれいなお花がいくつか咲いていたので思わず写真を撮ってしました。

二子山古墳へ

二子山古墳へ向かいました。

遠くから見ると 芝生で覆われているように見えて
ソリで滑ってみたいなと思ってしまいます。
罰当たりですが

実際近づいてみたら 笹のような硬そうな植物がわさわさ生えていて
滑るのは無理だとわかりましたが

家族連れの人たちとすれ違いました。
頂上への道が細い。すれ違いにくい。


かみつけの里博物館





すぐそばにあるかみつけの里博物館へ

屋外にはバーベキューコーナーのようなものや体験コーナーのようなものがあります。


とりあえず中へ。

大人200円で入場できてしまうという、かなりのリーズナブルさ。

ちなみに中学生は無料でした。


展示はなかなか興味深かったです。

古墳時代の村の再現ミニチュア

当時の農業の方法、道具の展示

武人埴輪や 鎧の種類や変遷

それだけでもかなり興味深ったですが

もっと興味をそそられたものもいくつか。


金の靴

金メッキされた金属でできた靴ですが

これは朝鮮半島から伝わったものだとのことです。

この東国の地にも 朝鮮半島とのつながりがあったということがわかって驚きました。


車持氏と上毛野氏

この群馬の地はこれら多くの古墳群が示すように
かつて 古墳時代に 大きな権力をもつ豪族が治めていたとのことです。

それも 中央政権や皇族と関係が深く

それらから派遣された大きな権力をもつ氏族がいたようです。

中央の要請に応じて 東国の蝦夷を討伐したり、海を渡って朝鮮半島の戦に遠征していたようです。
また今の埼玉エリアの豪族間の争いなどを中央に代わって調停したりもしていたようです。
初めて知りました。

また 彼らは天皇の乗る車をもつという重要な役職を担うことで
車持氏(役職=名前)と呼ばれていたようです。

そして彼らの所領が車と呼ばれ、「車(クルマ)」というところから今の「群馬(グンマ)」という呼び名がついたそうです。

残念ながら その後 火山の噴火で 一気にこの地域の国力は衰退してしまったようですが
その支族などがこの地を治めたようです。

上毛野氏などもこの地を治めた豪族で 今の群馬県は上毛野国(かみつけのくに)は上野国(こうづけのくに)とかつて呼ばれていました。


その後 前方後円墳の形に意義がなくなっていき
大規模な前方後円墳や建てられなくなり、方墳などが造られるようになっていきます。


今回 このような郷土の歴史を知ることができて非常に良かったです。

実際にここまで古墳を見ることも登ることもなかったし、博物館で知らなかったことを多く学ぶことができて 良い経験ができました。

館内には家族やカップルもいたりで、みんなで楽しめる観光スポットとしても良いところだなと思います。

ゆっくり過ごすのもよし、いろいろ見て学ぶのもよし。

休みのときや少し時間のあるときは 古墳に行ってみるのもよいのでは。







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